新卒採用

未来を切り拓く若きリーダーたちからのメッセージ

ファブリカホールディングスには、次世代を担う若いリーダーたちが集結しています。急速に変化するビジネス環境の中で会社を成長させ、革新を推進しています。

岩館 徹

自分のキャリアを自らの手で創っていく、そんな人と働きたい

岩館 徹 Toru Iwadate

取締役CFO。新卒でUFJ信託銀行株式会社(現 三菱UFJ信託銀行株式会社)に入行し、法人・リテール営業を経験。担当顧客のビジネスに触れる中でインターネット業界に可能性を感じ、比較.com株式会社(現 手間いらず株式会社)に転職。上場準備を担当し、東証マザーズ市場(現東証グロース市場)に上場を果たす。その後、国内インターネット業界最大手の一つであるヤフー株式会社(現 LINEヤフー株式会社)に転職し、数多くのM&A案件を担当。その後も多数のインターネット関連企業の役員を歴任し、2023年6月に当社取締役CFOに就任。

岩館 徹

岩館さんがインターネット業界に足を踏み入れたきっかけを教えてください

新卒では、銀行員としてキャリアをスタートしました。途中からIPO関連の業務を担当していたのですが、その過程で数多くのインターネットビジネスのスタートアップ企業と出会いました。当時(2000年代前半)はまだEコマースでさえ一般的ではなかったですし、googleもiPhoneも存在していない時代で、今振り返ると本当に黎明期ではありましたが、インターネットの可能性に魅了され、金融業界から転職しました。

早くから株式上場も経験し、上場ベンチャーでのやりがいも非常に大きかったのですが、まだ20代でしたし、この業界の「トップ企業の仕事を経験したい」という思いから、当時圧倒的No.1であったヤフーへ転職しました。

岩館 徹

そして当社との出会いのきっかけとなるお仕事に移っていくわけですね?

そうですね。ヤフーでは主にM&Aのエグゼキューションを担当し、非常に多くの経験を積ませていただきましたが、M&Aの目的を実現するためのPMI(Post-Merger Integration)にもチャレンジがしたい気持ちが高まっていました。もちろんタイミングもありましたが、当時の上司に直談判し、株式会社カービュー(現 LINEヤフー株式会社)のCFO業務にチャレンジさせていただけることになりました。いわゆる買収元から派遣された立場で、距離感はとても遠いところからのスタートでしたし、これまでと全く異なるカルチャーの中で学ぶことばかりではありましたが、振り返ると非常に多くの経験を積ませていただいたと感じています。

このカービュー時代に、株式会社ファブリカコミュニケーションズ(現 株式会社ファブリカホールディングス)との間で資本業務提携を行うこととなり、社外取締役の立場で関与し始め、その後、関係を深めていくなかで6年ほど経過した後に現職となりました。

岩館 徹

どのようなことを期待して当社の取締役に就任されましたか?

計画的に当社の取締役就任をイメージしていたわけではなく、社内のたくさんの人と関わっていく中でご縁を感じていった形ですね。
当社は2021年に上場を果たしたわけですが、まだまだ成長のポテンシャルがあるとは常々思っていましたし、改善をすべき部分があると認識していました。その部分について、自分が貢献できることが大いにあるなと感じたので参画を決意しました。完全に出来上がっている会社に面白みは感じないですし、そういう不完全な余白にも仕事の面白みを見出しています。

岩館 徹

これまでのキャリア、常にご自分でチャンスを掴んできたように見えます

実は、新卒の就職活動時は深くキャリアについて考えられていたわけではなく、「いろいろな業界のことが勉強ができそう」という理由で金融業界を選びました。なんとなく考えていたのは、自分の専門領域を持ちたい、という思いくらいだったと思います。でもその後は、基本的に自分でキャリアを選択して来たという振り返りはあります。

仕事は、貴重な人生の時間の大半を費やすものなので、納得感のあることをやりたいと思っていますが、やりたいことを実現するためには、相応しいポジションや役割が必要です。
昔の上司に「ポジションは誰かが与えてくれるものではない、まずは自分でやりたいと口に出さないと何も始まらない」と言われたのをいまでもよく覚えているのですが、これは今でも本当にその通りだと思っています。口に出そうと思うなら、自分の行動がそれに適したものになっていないとできませんから。

岩館 徹

今後、一緒に働きたい人はどんな人でしょうか?

たとえば、当社の重要会議は、大企業のように関係者の利害調整や合意形成を事前に行った上で、コンセンサスに基づく意思決定を行うという形態を取っていません。もちろん事前準備はしっかり行って臨みますが、会議のその場で新しい意見もどんどん飛び交いますから、普段から多面的に考えられていないと対応するのが難しく、また自分自身の考えを正しく表現することもできません。そういった考える力が問われる場面が多いと感じます。

逆に言うと、ポジションに関係なく個々人の意見をとても重要視するカルチャーであると言えます。自分のキャリアを自らの手で創っていきたいと考えている方にお越しいただきたいですし、そういった志向の方とこれから一緒に会社を成長させたいと思っています。

渡辺 友太

次世代エンジニアの成長スピードを早めることが、世の中への技術的貢献につながる

渡辺 友太 Yuta Watanabe

取締役CTO。新卒では日本マイクロソフト株式会社に入社し、テクニカルエバンジェリストとしてキャリアをスタート。その後、複数のスタートアップ企業でCTOやCEOとして、技術戦略の策定やプロダクト開発をリード。2023年6月ファブリカコミュニケーションズの取締役に就任、現在は親会社及びグループ各社の取締役を兼務。

渡辺 友太

新卒で入社したマイクロソフト社での学びや、当時考えていたことを教えてください

マイクロソフトを選んだのは、技術分野の最前線で働きたいという思いが強かったことに起因します。特にエバンジェリストという職種に強い興味がありました。また、単純にビル・ゲイツへの憧れというのもありました。
未来のお客様に対して新しい技術の必要性や、その導入方法を伝える役割を担っているのがエバンジェリストですが、カンファレンスでスピーカーとして目立つことよりも、技術をどのように活用し、どのようにしたら新しい手法にスムーズに移行できるかといったことを支援することに焦点を当てていました。また、営業同行の場では、事前にトピックが決まっていない状況も多々あり、そういった環境下でも短時間でクライアントのニーズを引き出して適切で魅力的な提案をその場でお話しできなければなりません。そういった提案力を鍛えられました。この経験を通じて、話し方や提案力、説得力が身につき、現在の対応力にもつながっています。当意即妙に魅力的な提案をするスキルが大きく成長したと思います。その後、特に本社とのコミュニケーションを通じてビジネスマンとしてグローバルな視点を持つようになり、よりエキサイティングな環境に目を向けるようになりました。日本支社では限界を感じることもでてきて、英語力を高めるために語学学校にも通い、2年目以降は海外出張の機会も増え、外国人とのコミュニケーション能力も磨かれていきました。

渡辺 友太

マイクロソフトを退職し、その次のステップに進むときの思いはどのようなものでしたか?

実は、マイクロソフトに3年いたら次のステップに進もうということは、かなり最初のうちから考えていました。外資系の会社というのも大きかったと思いますが、同じ仕事を3年やっていたら長い方という感覚をみなさん持っていました。1年目で立ち上げて、2年目で広げて成果を出し、3年目は引き継ぐタイミングだと。ですので3年でやり切ろうと思いました。「やり切る」の定義は難しいですが、圧倒的な成果は出したと思います。中途入社と新卒入社あわせてベストルーキーが決められるのですが、しっかりとKPIを達成してベストルーキーに選ばれました。
そして次を考えた時に、サラリーマンとしてではなく経営を学ぶ必要があるなと考えました。かねてから「一緒に会社をやらないか?」と株式会社インタレストマーケティングの代表から誘っていただいていたというのもあり、技術職のトップであるCTOとして経営に参画し、ビジネスを牽引しました。そしてこの際も、やはり3年で成果をだして次にいきますという約束をしていました。

渡辺 友太

当社との出会いと、入社までのストーリーを教えてください

ベトナムで海外拠点を作ろうという取り組みをしていた頃、当時すでにファブリカコミュニケーションズが先にベトナムに支社を立ち上げていて、開発拠点を運営していました。現地の日本人が集まる会でファブリカベトナムの支社長と出会い、その際、拠点の立ち上げや採用に関するアドバイスをいただき、一緒に勉強会を開催するなど、深い交流がありました。
その出会いから私がファブリカコミュニケーションズの取締役になるまでにはまだまだ長い年月がかかるのですが、その間に自分の会社を立ち上げ、受託開発や自社サービスの展開なども行っていきました。その間も仕事を通じてお付き合いはずっと続きました。ファブリカコミュニケーションズの開発の仕事も業務委託でやらせてもらう中で、「中の人間として一緒にやろう」という声もずっとかけてもらいましたし、中古車ビジネスのプラットフォーム「symphony」や、AI・Web3など新技術を活用したプロダクト開発に非常に可能性を感じ、そこに貢献したいと思うようになっていきました。

渡辺 友太

今後のキャリアはどのように考えていますか?

私は、キャリアというのは組織で働く人として積み上げていくものという感覚を持っています。セーフティな環境に身を置いているが、自由度もその範囲内であるという感覚ですね。その感覚がいいとか悪いということではなくて、私の場合はこれまでの社会人経験でもうコンプリートしたな、と。
ですので、今後は自分のキャリアを積んでいくというよりは、世の中にどうやって最先端技術を活用した新たなサービスを世に送り出すかを考えています。Web3やAIなどのサービスを世に出したり、海外展開をしたり。あとは、私と一緒に働く若い方においては、30歳までになにかしら成し遂げてほしいというメッセージを出しています。次世代の成長スピードを早めることで、彼らがより早く成長して間接的に自分が世に貢献していくという意識ですね。それが技術的なことかもしれないし、経営の部分かもしれないし、その頭角の表し方は人それぞれです。特にエンジニアの世界はツールや技術の進化がとても早いので、3年や5年といったスパンで考えないと世間に太刀打ちできる状況が成り立たないんじゃないかと思っています。そんなことをお伝えしながら組織を強くしていき、当社の仕事を通じて世の中に良いものを送り出したいと思います。

富永 健太

本当にやりたいことを求めて常に実践していくことこそ、自分の力になっていく

富永 健太 Kenta Tominaga

執行役員。2014年、株式会社アイアンドシー・クルーズ(現株式会社じげん)に入社し、WEBマーケティングや営業などのビジネス開発業務を主に担当、マネジメントも手がける。当時担当していたWEBメディア事業の事業譲渡をきっかけに当社グループの株式会社ファブリカコミュニケーションズに転職。2023年4月に同社インターネットサービス事業本部長に就任、2024年4月に同社取締役に就任。同時に当社の執行役員にも就任。

富永 健太

富永さんの学生時代のこと、そしてキャリアスタートのこと、教えてください

社会人経験の前に、実は私は大学に行くつもりがそもそもありませんでした。高校を卒業したらすぐに起業するか、もしくは家業を継ぐために勉強をするかの選択を考えていました。両親とも相談して結果的には大学に進学することになったのですが、起業することへの思いはずっとあったので、ダブルスクールで服飾関連(洋服関連での起業をイメージしていたので)の学校にも夜間に通うことにしました。かなり忙しい生活でしたが、夜間スクールで出会った方達は年齢の幅も広いしユニークな方がたくさんいて、中には自分で会社をやりながらスクールに通っている方もいたので、ものすごく刺激を受けました。

ちょうどその頃、世の中では学生向けのシードアクセラレータープログラムが流行っていたこともあり、起業熱は相変わらず高かったので、友人とともにプレゼン内容を整えてたくさんのプログラムに参加しました。実際に出資していただけそうな話もあったのですが、なかば勢いだけで決めてしまっていいのかという漠然とした不安と、そのなかの友人がやはり就職をする選択をしたということもあって、自分も就職活動をすることにしました。

就活でご縁をいただいた会社もあり、とても華やかなお仕事ができそうな企業がたくさんあったのですが、結果的にそちらには入社を決めませんでした。起業したいならもっと泥臭くいろんな現場を知っておくべきだと思ったんですね。私の最初のキャリアになっているアイアンドシー・クルーズは、インターンシップ生として入社しました。

富永 健太

いろいろな経験を学生時代にしつつも最初のスタートはインターン生からの入社

インターン生時代には本当に多くのことを経験しました。いまの自分の社会人としての人となりを形成した時期と言っても過言ではありません。
自分が苦手だと思うアウトバウンド営業(テレアポ)などをやる内容だったのですが、絶対にこれらを経験しておこうと思ってインターン先を決めました。なぜなら、起業したあとに現場のことを理解する上で絶対に必要な経験だと思ったからです。実際、インターン生とはいえ営業成績も追いましたし契約獲得のための活動も非常に積極的に行いました。成績も面白い様についてきて、リーダーにもなって、大手のクライアントへの提案の仕方なども学ぶことができました。

そんな中で、当時の社長から「明日から社員として来て」って、ほぼ強制的に社員になる形で就職先が決まったという流れです。自分の人生を振り返ってみて、自分の身の振り方を自分で決めなかったのはこの時だけですね。
社員になったあとは、さらに新規事業の立ち上げなども経験しました。

富永 健太

当社との出会いと、入社までのストーリーを教えてください

新規事業として立ち上げた中に、CarMeというWEBメディアがありました。情報メディアとして成長させるために、記事コンテンツの制作を企画したり、広告出向をしていただけるクライアントを探して提案したり、戦略立案などを行っていました。車の情報メディアですので、大手の広告代理店とのやりとりも発生し、本当に忙しい毎日でしたが、事業を拡大させていくシナリオを描いて切磋琢磨していました。新しいことを始めるにあたってはトラブルはつきものですから、その対応ももちろん自分が矢面に立って実行していたので、タフさは本当に身につきましたね。

そんな中で、事業展開に興味をもってくれた会社の一つに株式会社ファブリカコミュニケーションズがあり、事業譲渡とともに自身も転職するという選択肢がでてきました。実はこの話とちょうど同時期に、当時のクライアントに声をかけてもらっていたのでそちらに転職するか、もしくは、ずっと追ってきた起業を実現するかという3つの選択肢がありました。多くの時間を割いて検討しましたが、社員のみなさんとも食事にいったり、コミュニケーションをとることになる役員の方とも何度も話をさせていただいて、当社への転職を決めました。事業責任者を任せてもらえるし、裁量も非常に大きそうだなということが実感できたのが決め手になりました。

いまでもよくメンバーに話すのですが、当社は、上場しているからとどっしりと構えて安定を求めるというようなことはまったくなくて、本当にいい意味で「なんでもできる」会社だなと思っています。逆に言えばまだまだ改善できること、やりたいことはたくさんあって、それを実現できれば今後のどんなチャレンジも成功させられるなというようにも思っています。

富永 健太

今後、実現していきたいことを教えてください

ここまで、起業起業と多く発してきましたが、当社の中でいろいろなポジションを経験していくうちに考え方が少し変わってきていて、抽象的ではありますが「死ぬ時にやっておいてよかった」と思えることをやりたいという価値観にシフトしています。以前は自分の欲求として起業をしたいと思っていましたが、一定のポジションがある現在は、自分が本当に思い入れのあることに取り組みたいと思うようになっています。

具体的な表現に落とし込むと、現在は、自分が関わる事業の「桁」を変えていきたいと思っています。現在私は、ファブリカホールディングスの執行役員として、特にマーケティング分野での戦略的な執行を担うとともに、子会社の取締役を2社兼任しております。それらのビジネスで3桁億円規模の事業を成し遂げたいと考えています。桁が変われば会社のステージが大きく変わることになりますから、取れる戦略も取るべき施策も大きく変わるはずです。その瞬間を見てみたいというのが、いまのポジションを得てからの目標です。

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ファブリカホールディングスは、変化を恐れず積極果敢に挑戦する姿勢を持った若き挑戦者を求めています
「誰よりも一歩先を行き、自ら経営の最前線を切り拓く」
そんな情熱的でチャレンジ精神溢れる方お待ちしています